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THE GOLF FUNDAMENTALS
-  ゴルフ経営原論  第一部 ゴルフビジネス  -
第五章 ビジネスポリシー
Section 6 職業専門家に必要なプロフェッショナリズム
-5 米国PGAゴルフ
プロフェッショナルの実態
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プロフェッショナリズム

PGAプロフェッショナルの思想背景にプロフェッショナリズムがあると述べたが、プロフェッショナリズムはあらゆる職業専門家の背景にある伝統的な思想である。日本においても近年、スポーツ界だけでなく盛んにプロという言葉が使われるようになった。「プロの料理人」「プロの仕事師」「プロの投資家」など従来プロ概念がなかった世界で使われるようになり、「プロフェッショナル」という言葉もよく聞く。言葉のニュアンスに職人や商売人の域を超えたものがありながら、名人や芸術家に至らないものがある。「プロの弁護士」「プロの裁判官」「プロの会計士」「プロの教師」とは言わないところを見ると、この人たちはもともと社会通念上あるいは制度上プロフェッショナルであり、アマチュアではないからだろう。プロフェッショナルの概念は定義し難いものだが、思想背景や生立ちには相応の歴史があるようだ。

マルティンルターの天職意識

16世紀、ギリシャ語で書かれた聖書をドイツ語に翻訳したマルティン・ルターは聖書を詳しく読解した結果、永年にわたりヨーロッパの人々を奴隷のように支配してきたローマ教会に対して激しく反発 ‐protest‐ した。
聖書の内容を深く理解するにつれ「神は現世の束縛に苦しむ哀れな人々に復活のキリストイエスを与え、キリストを信ずるものとキリストの間には如何なる地上の権威も介入させず、全ての人がキリストを希望の光として生きられる世を約束した。」と書かれていると解釈したからである。「全ての人は神から何らかの才能や職分を与えられ、これを天職として励むならば神はキリストを助け主として、その人生を大いに祝福しよう。」と約束されているとも解釈したのである。
ルターの思想はプロテスタンティズムとなり「天職意識」の概念を生んだ。キリストの贖罪と復活によって政治的・宗教的圧制から解放された人生を喜んで生きる思想から、やがて人々が天職として与えられた仕事に励むことによって産業の発展や文芸の復興をみるに至る。この天職意識はプロフェッショナリズムの思想源流と考えて良いのではないか。
ゴルフをこよなく愛したジェームス一世・チャールズ一世は日曜日に全ての娯楽を慎むべきとする遊戯教書 ‐Book of Sports‐ に対して「日曜礼拝が済めば後はゴルフやスポーツを楽しんで良いはずだ」という国王通達を出して教会やピューリタンたちを怒らせたそうだが、これも宗教改革に伴うプロテスタンティズムの影響と考えて良いのではないか。
政治的・宗教的圧制は人々に奴隷のような労働を強いて遊興や怠惰を厳しく戒めたに違いないが、宗教改革によって人々は働く喜びや遊ぶ楽しさに気がつき、神から与えられた仕事や技芸に喜んで励む「天職意識」が芽生えたのだろう。ローマ帝国の崩壊から宗教改革までの長いヨーロッパの歴史の中で、ローマ教会の繁栄だけが目立って大衆の中に文化の香りが感じられないのは、圧制や貧困によって人々の魂が消沈し、働く喜びそのものを失っていたのではないかとも思える。その証拠に宗教改革がヨーロッパを席巻し、やがて大衆の中から次々と新しい文化が芽生え、ルネサンスや産業革命が起ったことからも理解できる。
人々の魂に芽生えた「天職意識」は仕事や職業に対する自信と誇りを生み、数々の芸術や匠の技となって具現化した。それゆえに「天職意識」はプロフェッショナリズムの源流と考えられるのである。

マックスウェーバーの職業倫理

プロテスタント思想から天職意識が芽生え、プロフェッショナリズムの概念が生まれてきたとするならば、天職や日々の労働は神の恵みそのものであって汚すことのできない神聖なものである。神に対する感謝を忘れなければ、神は天職や日々の労働を通して、人々の暮らしや人生を豊かに祝福するはずである。このようなプロテスタント思想はアメリカの建国理念となり、アメリカを繁栄へと導いていったが、先進諸国の殆んどがプロテスタント国であることを考えると、プロテスタント思想の影響の大きさを窺い知ることができる。
20世紀初頭ドイツの社会学者マックス・ウェーバーはプロテスタンティズムと職業倫理について明らかにしようとしている。ウェーバーはあらゆる職業は神から与えられた使命であって、それぞれの職業には世俗に毒されてはならない禁欲的な倫理や道徳が伴うと考えた。利潤追求を原理とする資本主義も人が禁欲的な倫理道徳観を失わない限り、神はそれを容認し祝福するとも考えた。
ウェーバー以前にアダム・スミスは『国富論』において「人々が自分の利益のために働いていても、見えざる手に導かれて国は豊かに繁栄する」と考えていたが、後の人たちの多くは「禁欲的な倫理道徳観と神に対する感謝の念を忘れなければ」という前提条件をすっかり忘れてしまっているようだ。ウェーバーのいう職業倫理も後の多くの人たちが忘れていることで、倫理が伴なわなければ資本主義の発展もありえないと考えていたようである。
先人の考えが正しかったことは現代社会の現実が証明している。役人、医師、教師、聖職者、法律家、政治家、事業家、専門家など天職と考えられていた職業人たちの倫理観が、社会の混乱を前にして今ほど問われる時はない。禁欲的な倫理道徳観を失った貪欲な金融資本が、世界の混乱と経済の低迷を招いたことは誰の眼にも明らかだ。世界のゴルフ帝王タイガー・ウッズがプロフェッショナルの倫理を問われたのも記憶に新しい。
このように天職意識と職業倫理は個人の繁栄と社会の発展を支える重要な精神基盤として働いてきた。ゴルフプロフェッショナルの概念もプロテスタント思想から生まれ、ゴルフを健全に発展させようとする職業意識と倫理観によって機能し社会的地位を築いてきたと考えられる。

職業専門家のプロ意識

医師、弁護士など全ての専門職、スポーツ選手も含めた専門職業人にはプロフェッショナリズムに支えられた職業倫理観が伴なわなければ、社会にとって有益な存在にはなりえない。近年はマスコミの発達によって特殊な才能を持ったものがすぐ有名人として社会的名声を得るが、名声が先行してプロ意識が伴わないものも多い。有名人のスキャンダルは社会現象のひとつで、マスコミによって有名人が生まれ、同じマスコミによって葬り去られるのを社会は防ぐことができない。ただマスコミにも有名人にもプロ意識の欠如を感じることは良くあるが、全ての人に天職意識や職業倫理を求めても無理なことかもしれない。
現代のプロ意識は単なる商業主義から生まれた軽薄なもので、稼ぎ高によって意識の度合いが決まることが多い。その最たるものがトーナメントプロの世界である。あからさまに賞金獲得高が公表され、賞金を稼いだ順番にランキングが決まる優勝劣敗の世界は、高邁な天職意識や職業倫理を求めていない。賞金の稼ぎに執着したものをプロ意識が高いとし、稼ぎのないものはプロ意識が低いとする。プロ意識は概ね稼ぎに比例し、稼ぎの伴わないプロ意識は社会から評価されることなく抹殺されることが多い。基本的に稼げないものをプロとは言わないから、プロとは技芸資格をもって稼ぐものと定義されるかもしれない。それゆえに一定の資格を持ったもの、例えば医師、弁護士、会計士などをあえてプロといわないが、ゴルフに関してはいたずらにプロという。
ゴルフの世界はアマチュア規定が厳しいために、あえてプロとアマを峻別するのかもしれないが、稼ぎ高だけをプロの評価基準とするプロ意識は本来のプロフェッショナル概念やプロフェッショナリズムに比較して、いささか軽薄に思えてならない。商業主義に踊らされた現代社会のプロ意識を職業専門家の精神と混同するようでは、職業専門家の社会的使命や地位は地に落ちるが、既にその兆候があちこちに現れているだけに、あらためてプロ意識の概念を問い直す必要がある。
職業専門家とは生活の糧を稼ぐためだけに働くものではなく、自分の職業を通して社会に貢献し、人々の幸福や福祉に役立とうと献身するものの総称である。それゆえに社会はその人たちを評価し相応の報酬を保証する。この高邁な職業専門家の精神は、ルターのいう天職意識やウェーバーのいう職業倫理に支えられたプロフェッショナリズムに基づくことを決して忘れてはならないはずだ。



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