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HOLY GOLF BUSHIDO
-  神 聖 ゴ ル フ 武 士 道  -
新和魂洋才のすすめ
日本の伝統精神 + 英国の伝統文化
第3章 自律と正義

中部銀次郎

ゴルフの基本理念は<自己審判によってフェアプレーに徹すること>である。本当はこの基本理念があれば複雑なゴルフルールは要らないのだが、この基本理念を踏みにじり騎士道や武士道のかけらもないゴルファーが横行してきたために、ゴルフ規則は段々と複雑化した。ゴルフは徹底した個人競技で、ひとりひとりがプレーイングジャッジとして、自分自身に厳しい判定採決を下しながら正々堂々と闘うという、いわば人間の常識を超越した厳粛な競技なのだ。<あるがままに打つ>と<有利にならぬよう裁定する>の二つは自己審判の極意であり、ゴルファーの基本姿勢でもある。この基本姿勢を貫いたのが日本の代表的アマチュアゴルファー中部銀次郎(なかべぎんじろう)である。彼は生涯<あるがまま打つ>をモットーとしていた。1967年西日本オープンゴルフでプロを抑えて優勝したとき、土砂降りの雨の中でアマチュアの中部ひとりが<あるがまま>を貫いたが、これは中部のゴルフに対する姿勢であると同時に真髄であったという。そして中部銀次郎は、このことを生涯アマチュアゴルファーの誇りに思っていたという。中部未亡人からこの話を伺って、私は中部銀次郎がサムライであり、武士道ゴルファーであったことを知った。彼はとても謙虚な性格で他人を批判し己を語ることは一切なかった。少なくとも私はそういう彼しか知らないし、彼を深く知る人からも異論を聞かない。彼は育ちの良い人だったから個人的に儒教の教えや陽明学を学んでいたのか、あるいは武士道や聖書を愛読していたのか。少なくとも中部銀次郎は知行合一というより不言実行の人だったといえよう。59歳という若さで亡くなってしまったが、こんなことになるならもっと多くを語ってもらえばよかったと悔やまれる。

ゴルファーの正義

中部が終生こだわった<あるがまま>の姿勢をいったん崩せば、際限なく言訳と卑怯が連鎖反応を起こし、ゴルフの基本精神はボロボロになってしまう。それどころか、人間としての尊厳を形成する魂<自らを戒め正義を貫く精神>は木っ端微塵に吹っ飛んでしまうのである。ゴルフを自己審判ゲームにしたことは、ゴルフを限りなく奥深く哲学的にしたのみならず、ゴルフを通して人間に潜在する原罪意識を容赦なく抉り出す仕掛けを仕組むことになった。人間の心に潜む我利欲望や原罪意識は常に自分を少しでも有利に誘導したいという誘惑を引き起こさせる。広大なコースの中で自分以外誰も見ていないという状況は、サタンの誘惑に陥る絶好の環境でもある。「数センチ動かせば簡単に打てるぞ」「アドレスしたときにボールが動いた?誰が見ていたというのだ」「カジュアルウォーターにすればいいじゃないか」次から次へとサタンは耳元でささや囁く。そして止めの囁きは「ゴルフがうまい奴は手の5番もうまいのさ」ああ嗚呼ジーザス! 騎士道ゴルファーはこう言って天を仰ぐであろう。ならば武士道ゴルファーはどうする。新渡戸武士道を学ぶものなら神の存在を意識しなくとも、自戒精神と正義感が働いて良心となるか、恥となって卑怯な行動に歯止めがかかるはずだ。しかし今や神の実在を信じ武士道を学ぶ日本人は少ない。エチケットを蔑ろにし、ボールを動かしてスコアやハンディキャップを曖昧にする日本人ゴルファーは実に多い。接待ゴルフで慣らされてきたから教育や地位が高い人にも罪悪感がない。
今や日本人ゴルファーと中国人ゴルファーは世界ワーストを争っている。やがてアジアのゴルフが台頭し、倫理道徳規範を失った日本人と中国人ゴルファーが多数を占めたとき、ゴルフという文化や伝統精神はどうなるか。アジアゴルフの健全な発展を30年余にわたって標榜してきた私は、命懸けで武士道ゴルフを提唱したいのだ。