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HOLY GOLF BUSHIDO
-  神 聖 ゴ ル フ 武 士 道  -
新和魂洋才のすすめ
日本の伝統精神 + 英国の伝統文化
第4章 勇気と忍耐

勇気とは何か

新渡戸稲造は「勇気は、義のために行われるものでなければ、徳の中に数えられる価値はない。」といって『論語』から孔子の言葉を引用して「義を見てせざるは勇なきなり。」ともいっている。つまり勇気とは正しいことを堂々と行うことだという。そしてはっきりと「大義の勇」と「匹夫の勇」(ひっぷのゆう)を区別している。ゴルファーにとって勇気とは何か。まさに自分自身に対して厳しく審判することである。通常、審判は中立の立場に立って敵対する二者を公平に裁くものをいうが、ゴルフでは自分自身がプレーヤーとジャッジを兼務するという常識では考えられない業をやってのけた。オリンピックでも審判なしで競技したら、もうとっくの昔に古代オリンピックと同じ運命を辿ったか、へたをすれば戦争にもなりかねない。ゴルフは近代オリンピックが始まる遥か前から自己審判を実行してきたのである。武士道には「切腹」というもっとも荒業な自己審判制度がある。自らを審判し、死罪に値すると判断したら、己の手で己を処刑する。一切他人の判断は仰がない。これほどまでに人間の尊厳を全うした行動規範は他に類を見ないのではないか。騎士道に決闘がなくなったように武士道にも切腹はなくなった。しかし思想は脈々と残るもので三島由紀夫が世界中を驚かせてから未だそれほど時間は経っていない。これに対してゴルフは、驚いたことにこの切腹の思想を今も残しているのである。<ホールアウトせずに次のホールに進んでしまった><誤球したままホールアウトしてしまった><過少申告スコアを提出してしまった>など他人から指摘される前に、重過失に対して自ら死刑宣告(競技失格)することを潔しとしている。たかがゴルフといっても自らを公平に裁いて失格にするには勇気がいる。誰も見ていない原野で自ら犯した罪を自ら罰する勇気。偶然あるいは不可抗力で犯した違反に対して何の抗弁もなく、黙って自ら課罰する勇気。拾い上げたボールを元の不利な状態に戻す勇気。などあらゆる場面で正義を問われ勇気が試される。多くの日本人は神の存在を認めないか、ほとんど意識していないから正義を行うのに勇気がいる。しかし常に神の目を意識している者からすれば、神の目をごまかすほうが遥かに勇気がいる。騎士道ゴルファーのボビー・ジョーンズはこの経験をしている。アドレスしたとき僅かにボールが動いた事実を申告したため、全米オープン優勝を逸したことがある。多くの人が彼のフェアプレーを賞賛したが、彼は「なぜ不正しなかったことが褒められるのか。私には神に嘘をつく勇気はない。」と賛辞を遮ったそうである。神の存在を認めていない者にとって正義を行うに勇気がいる。しかし常に神を意識している者にとって不義を行う方が遥かに勇気がいるのだ。イヤ不義を働くことを勇気とは言わないし度胸とも言わない。聖書ははっきりと「愚か」という。新渡戸稲造はプロテスタントだったからよく分かっていたと思うが、不義を行わないことや不義に立ち向かうことを勇気というべきかも知れない。更に新渡戸は武士道の中で、上杉謙信が宿敵武田信玄に塩を送ったケースや、源義家が、見事な上の句を返した敗軍の将・安倍貞任(あべのさだとう)の人柄を惜しんで首を取らず逃がした「武士の情け」を本物の勇気として賞賛している。ゴルフでもマッチプレーの時代には時々あったようだ。敗色の濃い相手の些細な違反を指摘してペナルティーを要求し、打ち直しを命じて精神的に止めを刺すことはマッチプレーの常套手段だった。非情な心を以って相手に止めが刺せぬものは、決して強いマッチプレーヤーにはなれないといわれていた時代に、ボビー・ジョーンズは宿敵ハリー・バードンに「彼の最大の欠点は優しすぎることだ。」と言わしめただけではなく実際にバードンを倒しているのである。優しさに裏打ちされた強さを持った者こそ本物の勇者であることを証明したといえよう。勝手な想像をするに、誰もが恐れた剛の者ハリー・バードンはボビー・ジョーンズの優しさの前に、得意な非情の常套手段を封じ込められてしまったのかもしれない。

忍耐とは何か

ゴルフは忍耐のゲームとも言われる。トッププレーヤーといえども自分が満足すべきショットは一試合に数発しかないといわれる。他はほとんど不満のショットということになる。ショットばかりではない。「よりにもよって何故こんなライにボールが落ちたのか」「あと十センチ飛べばバンカーのあごに突き刺さることはなかったに」「絶好のバーディーチャンスに何故あと一センチが打ち切れなかったのか」「木の右サイドに当たればフェアウェイに出たのに何故左サイドに当たってOBになってしまったのか」ゴルフゲームで出会う理不尽を書き並べたら膨大な百科事典ができるだろう。この理不尽な不運を忍耐力と持てる技量の全てを以って克服しきったものに勝利が与えられる。聖書は言う「怒りを治めるものは勇者に勝る」と。またこうも言う「試練は忍耐を生み、忍耐は練られた品性を生む」と。不運や不満に耐える忍耐力を持ったゴルファーは品性と勇気を兼ね備えた騎士でありサムライである。怒りに耐え切れず自分のクラブをみんな折ってしまったサンダーボルトと呼ばれたプロがいた。聖人となったボビー・ジョーンズですら初めて全英オープンに出場したとき、自分のふがいなさに耐え切れず中途棄権して世界の顰蹙をかっている。自分に怒りを覚えるのはまだ良いほうで、他のものに怒りを覚えるのは人格そのものが問われる。「あの時あいつが動いたから」「ショットするときシャッター音が聞こえた」「あんな奴とは二度とプレーしたくない」「あんなコースでまともなプレーができるか」自分のミスや未熟を他者のせいにする態度を武士道では卑怯者といって一刀両断する。