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HOLY GOLF BUSHIDO
-  神 聖 ゴ ル フ 武 士 道  -
新和魂洋才のすすめ
日本の伝統精神 + 英国の伝統文化
第2章 武士道と騎士道

武士と騎士の倫理

武士にしろ騎士にしろ最初は荘園領主たちが雇った番犬か用心棒みたいなものだったろうから、命知らずのならず者か、喧嘩好きの風来坊たちだったに違いない。段々と定職化し専門職化していくうちに、礼儀や規律が求められるようになり、争いや戦いの中に倫理や道徳が求められるようになったはずだ。さらには、簡単に雇い主を裏切って敵に寝返ってはたまらないから正義感や忠誠心を植えつけるようになった。こうして武士道も騎士道も時間をかけて武人の道、人の倫(みち)として語り継がれ、やがて不文律として封建社会に受け継がれていったものと思われる。やがて武士道には儒教の規律、仏教の慈悲など崇高な精神が移入され、騎士道には神の正義、キリストの愛など神聖な魂が移入されていった。
おもしろいことに、武士道も騎士道も発生の起源から生い立ちに至るまで、まさに瓜二つなのだ。両者を比較検討すると類似性を見つけることはやさしいが、相違点を見つけることは難しい。ちょうど西洋人と東洋人を比較検討するように、人種として外見上すごく違って見える両者も、人間として本質を観察するうちに同一に見えてくる。だから武士道も騎士道も本質は同じと見るほうが話は分かりやすい。両者に共通する点は、ともに厳しい倫理道徳規範をもちながら原典やマニュアルがないことである。従って武士道も騎士道も学ぼうとして学ぶところなく、教えようとして教えられぬ難しさがある。自らの魂のうちに宿していかなければならない究極の形而上学なのである。

武士道ゴルファー

私は武士道ゴルファーとして浅見録蔵・宮本留吉を、騎士道ゴルファーとしてボビー・ジョーンズをイメージしている。ボビー・ジョーンズは会ったこともないが、浅見録蔵・宮本留吉は知っている。特に浅見録蔵は我が師と仰ぐ方で、私が30歳になる前、毎週浅見先生のレッスン会で案内役や球置きをしていた関係で、先生の一挙一動は眼に焼きついている。大柄な体に眼光鋭い日焼けした顔。流麗なスイングに泰然自若とした風貌。まさに古武士を思わせるような方だった。レッスン会が終わると、おばあちゃんがつくった田舎料理に舌鼓し一杯飲んで上機嫌になってゴルフ談義をしてくださった。夜12時過ぎ、私がクルマで東京読売カントリークラブまでお送りするのだが、疲れた体に酒が入っているにも拘らず、どんなに勧めても決して後部座席に座ったり眠ったりされることはなかった。目は落ちそうになりながらも、一時間少々助手席に座っていろいろ話を聞かせてくださった。先生の家に着くと私も降りてご挨拶するのだが、先生もきちっと両足を揃え膝に手を当てて深々と挨拶をされた。さらに驚くのは、Uターンして帰って行く私のクルマを直立不動の姿勢で見送り、緩やかにカーブして姿が見えなくなる頃、深々とお辞儀をする先生の姿が毎回バックミラーに写るのだ。何十回お送りしたか分からないが、名誉をほしいままにした日本ゴルフ界の大御所が、30前の若僧にかくも礼と義を尽くしてくださったと思うと、その薫陶いかばかりか計り知れない。
宮本留吉プロは何回かお会いしただけだが、浅見先生よりうんと小兵ながらその毅然とした態度はまさにサムライそのものだった。もちろんボビー・ジョーンズと決闘して勝ったときの話は一生の自慢話として聞かされたが、武士道ゴルファーと騎士道ゴルファーの対決はさぞ見ものであったろうと想像するだけで楽しい。ボビー・ジョーンズが負けて10ドル札にサインして宮本留吉に取られた話は余りにも有名だが、武士と騎士が堂々と戦ったという話が伝わってこないのは誠に残念である。

騎士道ゴルファー

騎士道ゴルファーとしてのボビー・ジョーンズについては著書や文献から想像するより仕方がないのだが、彼が最も強かったときでもクラブは年に数週間しか握らず、あとの時間は機械工学、法律、文学の勉強をしていたといわれ、試合の前には早めに寝室に入って『聖書』と『イエスの生涯』を読んで祈りを捧げたと述懐している。敬虔なプロテスタントであったと同時に試合に臨む態度は謙虚にして礼儀正しく、マッチプレーの時代に常に相手を思いやり励まし、勇気付けたといわれている。宿敵ハリー・バードンに「彼の最大の欠点は優しすぎることだ。」と言わしめたほど、まさに中世の騎士を思わせるゴルファーだったようだ。史上最強のゴルファー ボビー・ジョーンズは、同時に史上最高の人格者でもあったからこそ世界のゴルファーから鑑として尊敬され、惜しみない賞賛の象徴として聖人の冠を付されたのであろう。それゆえに騎士道ゴルファーといえばボビー・ジョーンズを置いて他に見当たらないのである。

日本人ゴルファー

このようにゴルファーの基本精神は騎士道に求めることができるだけに、日本のゴルファーには武士道を身につけて欲しいと思う。武士道を身につけていれば、技量のいかんを問わず西洋人と欧米でプレーしたとき、東洋人ゴルファーとして決して恥ずべきことはない。イヤむしろ外国人からすれば、日本人は武士道精神を身につけているからこそ世界に通用する日本人でありサムライと呼べるのである。武士道精神が伴わなければ猿真似のうまい「イエローモンキー」か、金儲けのうまい「エコノミックアニマル」に格下げされてしまうではないか。ゴルフの腕が立とうが英語を話そうが、ブランド品を身に着けていようが高級車に乗っていようが、騎士道ゴルファーたちはそんなゴルファーには一瞥もくれないどころか侮蔑するだけである。
武士道は騎士道プロテスタンティズムと同じ、イヤそれ以上ともいえる倫理道徳規範を有している。無知蒙昧と自信喪失によってズルズルとゴルフ三等国に転落する前に、武士道という日本の知的財産を活用して、日本を、日本人を、そして日本のゴルフを世界の舞台で復活再生させたいものである。武士道ゴルファーと騎士道ゴルファーの対決。そこには闘うことを宿命付けられたもの同士の礼儀があり、惻隠(そくいん)があり、友情がある。そこには社交だの、作法だの、規範だの超越した神聖なる人間の尊厳が存在する。