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National Golf Foundation College Textbooks
THE GOLF FUNDAMENTALS
-  ゴルフ経営原論  第二部 ビジネスマネジメント  -
第三章 タスクマネジメント
Section 3 クオリティコントロール

QC:Quality Controlとは品質管理のことである。サービス商品も品質管理を怠ればたちまち粗悪品となる。そこでサービスの品質をより高めていこうという現場の努力をサービス・クオリティ・コントロールといっている。例えば小売店の店員は言葉使いから挨拶の仕方、つり銭の出し方まで細かい神経を使っているし、宅配便のスタッフは運転や駐車の仕方にまで細かい神経を使って通行人との良い関係を築こうとしている。病院や役所の対応も驚くほど良くなり、こちらが恐縮するほどであるが、これら全てサービスクオリティコントロールの成果と考えられる。
本来のクオリティコントロールは製造管理として製造業で始められたもので、QC運動として日本では1960年代から、米国では1990年代から盛んに行われるようになった。今日、日本の製造業が世界一の技術を誇るのも、このQC運動の成果といわれている。サービス業に導入されたのは比較的遅いが、ホテルやデパートなどには早くから導入されていたと思われる。NGFも1980年代にSQC:サービスクオリティコントロールとして提案し始めたが、スクールやインストラクターにはかなり浸透し、指導法や指導姿勢の改善、レッスンに対する信頼性回復など多くの成果を見た。
コースにおいても今後、SQCを積極的に進めてサービスの改善向上に力を入れていかなければ、明日の存在が危ぶまれることになるだろう。日本のコース経営は何度も経済危機に見舞われながら、依然として「殿様商売」「武家商法」といわれる背景には根深い問題が潜んでおり、その根本問題にメスを入れなければクオリティコントロールまで進展しない。その根本問題とは一言で表現すればゴルフ文化及びゴルフビジネスに対するカルチャーギャップである。具体的には『ゴルフ基礎原論』及び『ゴルフ経営原論』に詳しく書いたが、ゴルフゲームやゴルフビジネスに取り組む基本姿勢の問題である。

サービスクオリティ

日本のゴルフは大衆化されたといわれながら実際には未だ民主化されていない。「ゴルファーのゴルファーによるゴルファーのためのゴルフ」が出来上がっていないといえる。例えばコース練習場は資産や施設としての存在価値が高く、ゴルフより不動産として評価されている。自治体がゴルフ場を誘致するのは地域文化の向上のためではなく、固定資産税や娯楽施設利用税など税収の増加が目当てだからである。事業家や資産家がコース練習場を建設し経営するのは金儲けや資産形成が目的でゴルフ普及のためではない。事業の健全経営のために努力する人は多いが、ゴルフの健全普及のために努力する人は少ない。ゴルフビジネスに携わるものでゴルフ文化の価値を知る人は少なく、ゴルフは生活の手段に過ぎない。
ゴルフをスポーツ教養と考えるより仕事や接待、投機の手段と考えている人が多い。納得できなければ柔道・剣道・茶道・華道など日本の伝統技芸と比較してみるとよいが、そこには比較にならないほどのカルチャーギャップが存在する。日本の伝統技芸はいまや特殊な身分や階級の人のためにあるわけではない。老若男女だれもが教養文化として親しんでいる。ゴルフと日本の伝統技芸を比較するのはおかしいと思ってはならない。
欧米社会はゴルフを伝統技芸や教養文化として普及してきたから、ゴルフは身分階級に関係なく誰もが親しめるスポーツ教養であり伝統文化なのである。この原点思考を間違えるとゴルフのサービスとは何か、そのクオリティは何によって判断されるのか見当もつかない。少なくともゴルフは大衆スポーツや遊興娯楽より伝統技芸や教養文化として普及すると考えるならば、サービスの在り方やクオリティの基準が見えてくるに違いない。競技規則第一章にエチケットが定められているのがその根拠である。

サービスクオリティの内容

ゴルフのサービスとは何か、そのクオリティとは何かについて定義などない。だから自分で考え自分で判断するしかないが、それだけに商業サービスのクオリティはいろいろな考えや判断基準があって、これがベストだといえるものもない。ゴルフが欧米の教養文化や伝統スポーツであることと、規則がエチケットから始まることを考えれば、サービスクオリティもそれを裏付けるものでなければならないと考えられる。
幸いにも日本には同じような価値判断基準をもつ伝統技芸があるので分かり易いはずだ。伝統を裏付けるものは礼儀や秩序であり、文化を支えるのは教養や品格である。ゴルフが商業娯楽主義に走って、あるいは市場競争原理に負けて礼儀や秩序、教養や品格を失ったときはゴルフのクオリティも決定的に低下したと判断してよいだろう。仮に日本や中国で繁栄したとしても、世界のゴルフからは全く相手にされなくなるに違いない。
「ゴルフの最大の欠点は面白すぎることだ」といわれるだけに、ゴルフそのものを面白くする努力は必要ないと思う。努力すべきはサービスクオリティを低下させないこととゴルフを低俗化させないことではないか。しかしその判断基準を決めることができないだけにクオリティを維持することも難しい。例えばゴルフ協会が定める服装基準にしても、誰にとって好ましい服装か首をひねることが多い。好ましくないといわれる服装をしていてもゴルフマインドやジェントルマンシップを弁えたゴルファーは多いし、好ましい服装をしていてもやくざなゴルファーはいる。紳士面をしてスコアをゴマ化しルールを無視する輩も多い。高級外車を乗り付けて横柄に振舞うビジターもいれば、人のアラを探して付きまとう嫌味なメンバーもいる。ゴルフはヘタでもエチケットやマナーをキチンと弁えたゴルファーもいれば、ゴルフの巧い悪質ゴルファーも多い。
多種多様なカスタマーを相手にサービスクオリティをコントロールすることは至難の業に思えるが、経営自体に明確なポリシーやコンセプトがあれば経営が頻繁にブレルことはないはずだ。メンバー制ならメンバー制に、パブリックならパブリックに、リゾートならリゾートに徹しなければサービスの内容が定まらない。
例えばメンバー制に徹するならば、メンバーの家族や同伴ゲストはメンバーに準ずる待遇を受けるべきで、一般ビジターと同じ待遇では会員クラブの意味をなさない。日本では家族や友人を同伴し、食事をしながら談笑してくつろぐ姿をついぞ見かけないのは、メンバー制コースにこのようなサービスが用意されていないからである。家族やペットを連れてコースに入ることも固く禁じられている。休日に家庭をもつ社会人が家族を放ったらかしにして、一人でゴルフに興ずる姿は異様であるが、コース側に時代に合わせたサービスコントロールができていない典型と思われる。
外国のメンバーコースはいっさいビジターを入れず、メンバーと同伴家族だけがクラブハウスで楽しめるサービスが整っている。たまにゲストがいるが、ゲストはメンバーやクラブの大切な賓客として丁重にもてなされる。だからゲストがだらしない服装で挨拶もせずにいる姿など想像すらできない。ビジターを受け入れているメンバー制の場合でも、クラブハウス入口に「Members Only」の立札が立っていてビジターをクラブハウスに入れない。これがメンバーに対するサービスで、クオリティの違いを明確にしてメンバーとビジターを区別している。
これに対してパブリックコースでは、全ての人をカスタマーとして平等に扱うことがサービスクオリティである。要人も著名人も達人も同じ料金サービスで受け入れる。特典サービスがあるのはシニアとジュニア、障害者と失業者くらいで更なる割引料金が適用される。
リゾートコースは人種・身分・技量に関係なく全てのビジターをゲストとして歓迎する。その代わり経済差別が厳しくサービスクオリティが料金によって明確に異なり、ぺブルビーチ、ラコスタ、パインハーストNo.2、川奈富士コースに見られるように宿泊客以外はプレーをさせないコースもある。

施設サービス

コース練習場は施設事業としての性格が強いから、施設のクオリティ評価は大きく異なる。豪華な施設と粗末な施設、新しい施設と古い施設では本質的にクオリティの差があって、マネジメントする余地がないと思いがちだが、サービスクオリティの違いは顕著に現れる。歴史や伝統を誇る施設は殆んど古く粗末なモノが多いから、クオリティを評価することは難しいが、そのサービスは間違いなく歴史と伝統のはずだから、それを変えずに維持することがサービスコントロールになる。
とはいえ歴史と伝統を誇ろうとしてもカスタマーが評価しなければビジネスが成立しない。例えばスコットランドのセントアンドリュウスやカーヌスティ、イングランドのセントジョーンズなどのリンクスランドはゴルフを知らない人が見れば、海岸に掘っ立て小屋が建っている寒村の一風景にしか見えない。とても歴史や伝統を有する施設とは思えない。しかしこのコースにとって施設サービスとは、その状態を維持することであって手を加えたらクオリティが下がってしまうのである。カスタマーが昔のまま残された自然の姿を高く評価し、そこを訪れそこでプレーすることに高い価値を見出すからこそ、その状態を維持することがサービスコントロールになっている。カスタマーがそこに価値を見出さなければ、クオリティにはならない。
施設サービスのクオリティはクリエイティブされるものだけに、カスタマーの評価を得られなければ空しくマーケットから消え去っていく。莫大な投資によって建設された豪華なコースが二束三文で売却され、厄介者扱いされている現実を見るにつけ、施設サービスとは何かを考えさせられる。施設サービスこそ必要性、利便性、経済合理性に裏打ちされ、かつカスタマーに評価されてはじめて存続価値が認められる、極めて受動的な立場にあることを思い知らされるのである。莫大な金を掛けた公共施設が殆んど利用されることなく、ハコモノとしてサラシモノになっている姿を見る度に、施設サービスとは利用され機能して初めてクオリティが生まれることを痛感させられるのである。

クオリティコントロール

マーケットやカスタマーが求めるサービスクオリティとは何か。供給側がどんなにサービスクオリティを押し付けても、カスタマーが受け入れなければ存在価値すらない。カスタマーの行動原理は必要性、利便性、経済合理性に集約できるから「その値段ならいいね」の一言に尽きる。それは100円ショップに行っても、回転寿司に行っても、デズニーランドに行ってもカスタマーが認めるサービスクオリティの基準が理解できる。
ところがゴルフの世界では、このサービスクオリティの基準が一向に見えてこない。コースの料金表を見てサービスクオリティと料金の間にリーズナブル(妥当性)を感じる人がどれだけいるか。特に休日ビジター料金をリーズナブルと感じている人がいたら、その人の価値感は狂っている。サービスクオリティに対する価値感は時代により社会により変化するが、接待ゴルフが盛んな時代に設定されたビジター料金に対して如何なる理由根拠も見出せない。今やファミリーゴルフ、スポーツゴルフの時代に接待ゴルフの姿が原形のまま残っていることに驚嘆するのである。
クオリティコントロールとは時代や社会、マーケットやカスタマーニーズに対応してサービスやクオリティが変化するもの、調整されるものと理解したいが、コースのサービスコントロールは不動の体制を誇ったまま変化する気配すらみせていない。先にも述べた如く、サービスやクオリティに定義や原則などないが、時代や社会の変化に対応して自ら判断してコントロール(調整工夫)しなければならない性格のものであることは確かだ。少なくともビジネスマネジメントの領域で考えるならば、メンバーコースならメンバーが、パブリックコースならカスタマーが、セミパブリックなら地域ゴルファーが「いいね」と言って賛同してくれるサービスクオリティが提案されない限り、マネジメントだのコントロールだのと語ることすらできない。