タグ : 全英オープン

全英オープンの教訓

実力者フィル・ミケルソンの優勝で終わった「2013全英オープン」は、今年もまた数々の教訓を残してくれた。日本から8人出場して決勝進出は二人。その一人がプロ転向3ヶ月の大物ルーキー松山英樹で、タイガー・ウッズと同じ6位入賞である。予選二日間は米英を代表するフィル・ミケルソン(米)、ルーク・ドナルド(英)と世界のトッププレーヤーとプレーしながら、全く臆することなく堂々と予選通過したのだから見事というほかない。ちなみにドナルドは予選落ちした。

 

松山英樹は幸運だ。プロデビューの舞台は最古の伝統クラブミュアフィールド、共演の役者は英国を代表するルーク・ドナルドと、米国を代表するフィル・ミケルソン。初日二日目と同じ組でプレーしたのだから、それだけでも世界の注目を浴びるのに、そのうえ世界一のタイガー・ウッズと肩を並べる6位入賞だから、日本のゴルフ史に名を残す快挙といわなければならない。だからといってお祭り騒ぎをするのはまだ早い。この程度でお祭り騒ぎをするようでは、日本はいつまでたってもゴルフ三流国に終わるからからだ。優勝したミケルソンだって20年挑戦し続けてやっと勝利を掴み、キャディや家族と肩を抱き合って泣いた。

 

日本では、いままでどれだけ多くの有望な若者を「ほめ殺し」してきたか分からない。日本を世界地図で見れば一目瞭然、極東の小さな島国なのだ。日本一だからといって世界に出れば小さな存在に過ぎない。日本一だ!世界だ!金メダルだ!と騒がれて、万歳三唱で送り出された若者が落武者のようにひっそりと帰国する姿をどれほど見たことか。本来なら敗れて戻ってきた者こそ暖かく迎え入れ、激励してやるのが親心であり大人の姿のはずだが。いつまでたっても「一将功なり万骨枯る」では多くの有能な若者が次々と枯れていく。

 

今年の全英オープンには8人の日本人プロが挑戦しているが、多くの人がその事実すら知らないかもしれない。ひょっとしたら松山英樹一人が出場したと思っているかもしれない。眠い目をこすってテレビを見ていた私ですら、とうとう予選落ちした6人の姿が放映されるのを観ることができなかった。どんな思いで全英オープンに臨み、どんな思いで帰国したか考えると気になって仕方がない。彼らがプロである以上、安易な慰めは無用だ。臥薪嘗胆。その無念を明日の活力にしてこそプロなのだから。松山英樹は6位入賞は忘れてもいいから、R&A競技委員からスロープレーのペナルティーを喰らった悔しさは生涯忘れてはならない。日本から来た若者にガツンと拳骨を食らわせたR&Aも強かなら、「糞ったれ!」と言わんばかりの顔つきで最終日に巻き返した松山も強かだ。誉め言葉なんか忘れてその悔しさだけが心に残っていれば、必ず将来は世界を背負うプロに成長するだろう。

 

ゴルフグローバル時代

メジャートーナメントの出場選手の国籍を見ると、いやがうえにもゴルフの世界にグローバル時代がやってきたことが分かる。英国に発祥したゴルフが欧米カナダ豪州に伝わり、日本韓国アジア諸国に普及していった姿が手に取るように分かる。全米女子オープンでは韓国を中心にアジア勢が大活躍し、全英オープンでは英国勢と米国勢が激突する構図の中で南アフリカとオーストラリアが油揚げをさらう結果となった。劣勢だった英国勢は最近勢いを盛り返して、世界ランキング上位三位まで占めている。英国伝統精神ゴルフが米国科学技術ゴルフを圧倒しているように見えるが、どうやら英国も米国科学技術ゴルフを積極的に導入した結果のようだ。そうなると伝統精神に科学技術がハイブリッドされてより進化したことになる。どんなに高度な技術を持っていても、精神基盤が脆弱だと勝負の世界では通用しないことを、米国勢トップのタイガー・ウッズ自身が証明してみせた。そのタイガー・ウッズは今回優勝争いに絡んできたが、プレーの態度を見ている限り精神的な成長と余裕が伺える。間もなく円熟した実力者としてグローバル時代のリーダーに返り咲くに違いない。

 

ご存知のようにタイガー・ウッズはアジア・アフリカの混血というグローバル時代の象徴的存在だが、WASPが支配する欧米ゴルフ界の中で実に多くの偏見や差別があって、世界の頂点に上り詰めるまで想像を絶する数々の苦難があったと思われる。偏見と差別、挫折と中傷を克服した人間タイガー・ウッズが米国の帝王からグローバル時代の象徴的存在として、世界中のゴルフファンに愛されるならば、ゴルフそのものがグローバル化したことを意味するだろう。ゴルフがどんなにグローバル化しても、英国に発祥し米国に渡って発展した歴史的事実や、英国伝統精神に米国科学技術が融合して完成された高度な文化性は、永遠に世界中の人々に受け継がれていくに違いない。ゴルフの悠久文化性が理解されたとき、本当の意味でゴルフがオリンピックの正式種目になるときと思うが、へたするとオリンピックそのものの悠久文化性が先に問われるかもしれない。金だ銀だ、何個だ何十個だと騒いでいるうちに、世界の安全や秩序が先に崩壊しオリンピックどころではなくなる恐れがある。金メダルの国別獲得数が国家予算の投入金額に比例するようでは、軍事予算と国力や戦力の関係と同じで我ら庶民がお祭り騒ぎをする問題ではない。

 

プロトーナメントの世界がグローバル化しているのは素晴らしいことだが、賞金予算がどんどん肥大化しているのが気掛かりだ。金メダルの奪い合いと賞金の奪い合いのどこが違うと問われたら返す言葉がない。ゴルフの悠久文化性を語っているうちに、現実はゴルフの賭博性が支配していたとすればパロディーどころか、堕落と崩壊の道を歩んだ古代オリンピックと同じ悲劇を演ずることになるかもしれないからだ。莫大な金を手にして堕落と崩壊の道を歩んだものは歴史上ゴマンといるし、個人に限らず国民国家の単位でも枚挙に暇がない。ひょっとすると誰もがタイガー・ウッズの歩んだ道を笑うどころか見習わなければならない時が来るかもしれない。